こんにちは、AIとその進化について探求するこのブログへようこそ。
近年、目覚ましい発展を遂げている人工知能(AI)。その能力が人間と比較される場面も増えてきました。「AIは人間の知能を超えたのか?」という問いは、多くの議論を呼んでいます。しかし、知能と一口に言っても様々な側面があります。単純な優劣ではなく、どのようなパターンで異なるのかを理解することが重要です。
今回は、人間(小学生から教授まで)とAI(異なるパラメータ規模)の知能パターンを、架空のグラフをイメージしながら比較分析してみましょう。
1. 六角形グラフで見る知能の多角的な側面
まずは、知能をいくつかの側面から捉えた六角形グラフをイメージしてみましょう。ここでは、以下の6つの項目で比較を行います。

情報量(知識量)保持している事実・データ・語彙などの知識の広さ。
- 分析能力 複雑な問題を分解・整理して理解し、論理的に考察する力。
- 論理性 筋道立てて思考し、矛盾のない結論を導く能力。
- 応用力 既存の知識やスキルを新しい状況に適応させて使える能力。
- 創造性 新しいアイデアや視点を生み出す力。
- 直感(あるいは洞察) 経験や感覚に基づいて素早く本質を見抜く能力。
においては、人間が一生かけて蓄積する知識を遥かに凌駕していることが視覚的に理解できます。
3. グラフが示す洞察:AIと人間の知能は「質が異なる存在」
これらのグラフから見えてくる最も重要な点は、AIの知能は人間の知能とは質的に異なる部分が多いということです。
- 量と質の違い: AIは「知識量」やデータ処理における「分析能力」において人間を圧倒します。しかし、人間の知能は単なる情報量ではなく、経験、感情、倫理観に基づいた判断、そしてゼロからイチを生み出すような「創造性」や、状況に合わせて柔軟に対応する「問題解決能力」など、多岐にわたる要素が複雑に絡み合っています。
- 得意な領域の違い: AIは大量データからのパターン認識や定型的な問題解決に強い一方、人間は未知の状況への対応、共感を伴うコミュニケーション、抽象的な思考、そして価値判断を伴う意思決定に強みを持っています。
- 進化の方向性: 人間の知能は生物的な進化と文化的な蓄積によってゆっくりと形成されてきましたが、AIの能力はハードウェアの進化とアルゴリズム、学習データの量によって急激に向上しています。特にパラメータ数の増大は、AIの能力をスケールさせる上で非常に大きな影響を与えています。
人間の知恵の砦は直感?それとも倫理?もう教育は根本的に変革する必要がある。
今回のグラフによる比較は、AIがほぼすべての領域で人間を凌駕する能力を持っていることを示唆していますが、同時に人間の知能が持つ独自の価値も浮き彫りにしています。
現在のAIの倫理や直感という枠組みでは、もちろん評価ができない。なぜならば直感も倫理も人間が人間であるがゆえの感情的な部分も存在する。逆に言えば、人間が人間ではなくなった時点で直感も倫理も失うということは成立する。
少し話を脱線すると、今後、人間の体はすべてロボットに置き換えて、脳の一部分の感情を司る部分だけ残して、あとはAIで半分埋めて、その人間の意識だけを残して永遠の命を叶えるようなプロジェクトは実際存在する。その状態になれば、その存在は人間として言えるのかはさておき、間違いなくもはや人間的な倫理も直感も別物になっていると思われる。
なので、現段階で人工知能にできなくて人間にできるのは直感である。直感というのは、いわゆる人工知能のデータ上のワイルドカードとは違う。それはプログラミング的なランダーマイザーではない。人間が自分の持っている経験やセンス、全ての感覚を研ぎ澄まして得られるその場限りの「生存競争」に有意義な論理的思考を経たないものである。その他の能力に関しましては、もはや大学教授レベル。でもはっきり言って今のローカルGPUで動く8BパラメータのAIのほうがすべての面において凌駕している結論になります。
そうすると、ホリエモンの言っていることを理解できる。果たして、今の義務教育は意味があるのかということになる。義務教育をまったく受けずでもAIの使い方だけを一年間勉強した成人のほうが、いろんな意味で仕事上では役に立つだろう。小学校6年間(社会規範の勉強)⇒中学校1年間(倫理の勉強)⇒AI学校2年間(AIスキルの勉強)で成人として扱うほうが社会的には有意義な気がします。あとは一生かけてAIと2人三脚で勉強していければいいのではないかと思う。あなたはどう思いますか。